立身流の歴史

概説

戦国時代の武将である立身三京が安心立命の境地を求めて妻山大明神に祈念し、大悟して一流を興したと伝えられています。立身三京は、伊予の国で活躍したとされておりますが、詳しい出自は不明です。

江戸期に入ると、堀田家の刀術五流のうちの一つとして藩士の多くが学び、現在まで続く活動の礎が築かれました。現在まで続く新年の行事「抜初式(ぬきぞめしき)」には藩主が列席することが常であったと伝えられています。

更に時代が下って幕末の動乱期になると、京都に赴き他藩士とも剣を交えたといいます。明治に入ると逸見宗助、半澤成恒らの名だたる剣客を輩出し、撃剣世話掛として警視庁に奉職しました。警視流の剣術や柔術に、当流の「巻落(まきおとし)」「柄搦(つかがらみ)」などの形が採用されているのはこの時代の名残です。また、同じ時代の著名人として、福沢諭吉を挙げることができます。福沢諭吉は中津藩に伝わる立身流の系統である立身新流を嗜んでおり、晩年まで稽古を続けていたことが福翁自伝に記されています。

室町時代に産声を上げ、戦国、織豊、江戸、そして近代と、幾多の激動の時代を生き抜いてきた当流は、現在も千葉県佐倉市を本拠地として活動し、海外にも活動の輪を広げております。

>>立身流の歴代宗家
Reviced:18 Aug 2008