平成20年抜初式 招待演武流派紹介

小笠原流

当流は、鎌倉時代に源家の糾方を受けた小笠原長清によって創始された。長清は、頼朝公が鎌倉に幕府を開くと、父の加賀美二郎速光に従い、糾方的伝師範として頼朝公の糾方師範となった。時に文治3年(1187年)長清26歳の時である。長清は父とともに流鏑馬、奉射、また鶴岡八幡参拝の次第など、故実をもとに新しい武家儀式を制定した。以来、足利、徳川期を通じ、皇室および将軍家の師範として「弓馬術礼法」の道を一子相伝で守っている。明治八年に将軍家の許しにより神田に弓馬術礼法小笠原流教場を開く。三十世清信は伊勢神宮、鶴岡八幡宮各社の神事に奉仕し、儀礼文化学会設立にも務めた。現在は三十一世小笠原清忠が継承している。

小笠原家は礼法の家として広く知られているが、本来は弓馬の武術であり、礼法は弓馬術の基本動作をまとめて武家社会の作法としたものである。
当流では礼法、弓術、弓馬術の三つを修めることが必要であり、その修行の過程を大事としている。今回の演武では、流鏑馬の稽古法を披露する。

小笠原家の流鏑馬の式法は、鎌倉時代と江戸時代の二つの形が伝わっている。鎌倉時代の式法は狩装束を着用し、狩俣矢を籠に差し用いる。江戸時代の式法は徳川八代将軍吉宗公により再興されたもので、鎌倉時代の装束に比べて軽装であり、狩俣を用いない。稽古では主に木馬が用いられ、回し木馬では走る速度を覚え、矢の番え方や狙い方を稽古する。